不適切ケアに対する「革命」の提案③

注記
※本記事は季刊誌『認知症ケア』2019年冬号に掲載の「不適切ケアに対する「革命」の提案」(執筆者:オフィス藤田有限会社 グループホーム燦々 取締役 看護師/介護支援専門員/ 認知症介護指導者 古城順子)より引用しています。

本人視点のケア会議の実際(目的3・4)

スタッフの視点を利用者の視点に転換させるのがアセスメントの基本である。スタッフの相互理解の場合と同様に,氷山で考える。

利用者が表現している言動の下には,見えていない大きな氷の塊がある。「戦争をこうやって乗り越えてきた」「会社の部長職だった」「農業歴50年で畑を3倍にした」「子どもを4人育て上げた」という,その人の存在自体を支えるプライドであり,個性に満ちた尊厳である。

私たちが見たり,聞いたりして確認している利用者の「現象」と,水面下にある生活歴や家族背景から導き出した「尊厳」や「価値観」「プライド」「誇り」という生き様をつなげ,説明できるようになって,初めてアセスメントとなる。だから,「本人視点のケア会議」と銘打ってしまった方が進めやすいと思う。そして,その試みを積み重ねることが重要である。

「本人視点のケア会議」は,「なぜ?」という質問を3〜5回繰り返す簡単な会議でよいと思う。主催者は,できればホワイトボードか模造紙などに大きな字で発言内容を「見える化」するとよい(図3)。

●Aさんの言動を共有する
「Aさんの現状はどんな感じですか?」 とにっこり微笑んで目を合わせてスタッフに投げ掛けてみると,「5分ごとにトイレに行く」「さっき行ったのを忘れて何度も行く」「日中の方が多い」「食事中も行く」など起こっている現象が出てくる。スタッフの感情は前述したとおり,一つも否定せずにしっかりと受け止めよう。それに加えて,「不機嫌そうだよね」「忘れているのでは?」「認知症だもんね」といった利用者の感情や原因・理由も出てくる。主催者はよく聴き,うなずき,そのままの言葉を書き残す。可能ならば,「認知症➡忘れる➡何度もトイレに行く」といったように,因果関係を意識しながら書くとよい。

●「なぜ?」を繰り返しながらスタッフへの承認と本人視点の感情を密かに盛り込んでいく
主催者「なぜ忘れてしまうのかな?」
➡スタッフ「認知症だから」「高齢だから」「膀胱炎かな?」
➡主催者「なるほどね」

主催者「疾患は何でしたか?」「おいくつでした?」
➡スタッフ「アルツハイマー型認知症」「記憶障害があります」「88歳ですよね」
➡主催者「そうかあ,長く生きておられるね」「戦後も頑張ってこられたのでしょうね」「分からないことがたくさんあるでしょうね」

主催者「なぜ何度もトイレに行かれるのかな?」
➡スタッフ「失敗したくないからかな」「心配だからかな」「トイレは自分で行きたいっていう意欲?」

主催者「なぜ失敗したくないのかな?」
➡スタッフ「迷惑を掛けたくないし,失敗したら恥ずかしいからだと思う」「そう言えば,自宅で排尿を失敗した時に娘さんに怒られたとおっしゃっていた」
➡主催者「つらかったでしょうね。一生懸命育ててきた娘さんに怒られるって。娘さんもつらいですよね」「良い情報をたくさん持っていますね」

主催者「Aさんは何をされてきた人でしたっけ?」
➡スタッフ「学校の先生です。国語の先生。几帳面で優しい先生だったって,娘さんがおっしゃっていました」「私たちは生徒みたいな年齢ですね。先生としてのプライドがあり ますよね」「ばかにされたと思ったのかもしれない」
➡主催者「そうですね。つらかったかも。自立していたいという気持ちはいつまでもありますよね」

主催者「まとめると,『学校の先生をされていた几帳面なAさんは,高齢になり認知症を患い,排泄を失敗してしまった。自宅で大切な娘さんから怒られたという体験があり,失敗したくない,自分でトイレに行かなければという自立への強い意欲が心の底にある。だから,何度もトイレに行く』ということですね」

このように,さりげなく密かに「現象➡原因・理由➡尊厳・生き様」と掘り下げていく。利用者の言動の水面下にある生活歴,それによって構築された個別的なプライドや価値観までたどり着いた時に,しみじみと利用者の悲しみや悔しさに共感できる(図4)。

最初はうまくいかなくても,積み重ねていくことが大切である。主催者にその意識が定着し,意図を持って会議を進行することができれば,主催者,スタッフ共に氷山の水面下の部分を見る訓練となる。

●今できるケアの方向性や対策を出し,前向きに合意する(目的5)
尊厳,生き様まで理解が深まったら,「では,どんな言葉掛けやケアをしたらよいでしょう?」と投げ掛けてみよう。すると,スタッフの柔軟な発想で良いアイデアがたくさん出る。「A先生と呼んでみては?」「トイレに行った時間を書いてみては?」「でも,失敗したくない気持ちをまず受け止めないとね」などである。主催者はしっかりとうなずきながらそれらを書き出し,今できるケアやその方向性を共有する。

そして,「できていない時は声を掛け合おう」とつけ加えてみてはどうだろうか。なぜなら,不適切ケアを見つけても, スタッフ同士が上手に伝え合えなければ,「スタッフの相互理解」の距離がまた広がってしまうからである。苦しい現状を理解しつつ,目指す方向性を共有できれば,互いを許し,前向きに伝え合える。そんなチームをイメージすれば,きっと実現すると思う。

主催者への宿題

「『私はAさんの味方ですよ』という印象が,Aさんの扁桃体で記憶されたら,安心されるかもしれませんね」。このような知識を活用した意味づけが,主催者とスタッフの関係性を光が差す方向に変化させる。なぜなら,その知識がスタッフの専門性を支える光になるからである。「今まで何となく見よう見まねで行っていたけど,そういう根拠があったのか。これからも先輩に聞けば根拠が明確になるかもしれない」と。

今回の「本人視点のケア会議」の根拠は,図5に示すパーソン・センタード・ ケアのモデルである。適切なケアの土台には,必ずこのような根拠となる知識が必要である。

そのため,革命を試みる主催者に宿題を出すとしたら,1つでも2つでもよいから,自信を持って使える知識を身につけることだ。マズローの欲求の階層性でも,海馬と扁桃体でも,メラビアンの法則でも,ICFでもよい。その知識を,利用者とスタッフの両者の幸せのために使えるようになれば,それは必ず「ケア」と呼べる働き掛けにつながる。

ケアの変化と見えてくる光

パンパンとAさんの手が鳴る。「いつもお待たせして申し訳ないです,A先生。お手洗いですね」「次は1時間後くらいにお声を掛けていいですか? ちょうど昼食前の時間なので,お手洗いが空いている時にお声を掛けますね」と,本人視点のケア会議で挙がった対策のとおりに実施する。すると,Aさんに残る私たちの印象が違ってくる。

アルツハイマー型認知症は脳が海馬から萎縮するが,扁桃体は生き生きと活動している。扁桃体は,周囲の人が自分にとって「快」なのか「不快」なのか,または「味方」なのか「敵」なのかを瞬時に判断する。先述のような対応により「この人は味方だ!」という印象が残る。

「こんなに気の利いた言葉掛けをしてくれる味方がいるのなら安心だ。ここがどこなのか,家族はどこに行ったのか,これからどうなるのかさっぱり分からないけれど,ここは良い所かもしれない」,そう感じてもらえる環境因子としてAさんの記憶(印象)に残る。

そしてそれは,「次は声を掛けてくれた時に行こう」という自律的な判断につながる。その結果,トイレに何回も行くという行動は抑えられるかもしれない。そして,「いつもありがとうね」と目を合わせて心を通わせる,「Aさんの私たちとの社会参加」の機会が増え,スタッフの心理的負担はやりがいに変化するかもしれない。

「人間の悩みはすべて対人関係の悩みである」

哲学者の岸見は『アドラー心理学入門』の中で,「アドラーは人間の悩みはすべて対人関係の悩みである,といっています。人は一人で生きているのではなく,〈人の間〉に生きています。(中略)ある人に起こっていることを理解するためにはその人がまわりの人に対してどんな態度を取っているか調べなければなりません。(中略)人を孤立した個人として見るのではなく,対人関係の中でその行動の意味を見ていくのです」と述べている。

今私たちが悩み苦しんでいる「不適切ケア」も,突き詰めて考えれば,対人関係の悩みなのかもしれない。利用者や家族,そして現場で働くスタッフやリーダー,管理者,施設長,理事長といった立場の違う「人間」が,互いに対してどんな態度を取っているのかを振り返ってみてはどうだろうか。

生まれ育った場所や体験を通して習得した能力,親から引き継いだ価値観や規範など,何もかも違う「人間」だから,起こっている出来事のとらえ方が違って当然である。理事長と現場のスタッフでは,接点すらない場合もある。それを互いに非難したり,言えずに我慢したりしていては,理解し合えるはずがない。

だからこそ,今自分が見聞きして考えていることがすべてではないという謙虚さを忘れてはならない。そして,1日24時間の3分の1を占めるその仕事の中で,他者の人生と幸福に関心を寄せる本来の「人間らしさ」を存分に発揮できる「光」を見いだしてほしい。その「光」が「革命」の原動力になるだろう。


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