不適切ケアに対する「革命」の提案①

注記
※本記事は季刊誌『認知症ケア』2019年冬号に掲載の「不適切ケアに対する「革命」の提案」(執筆者:オフィス藤田有限会社 グループホーム燦々 取締役 看護師/介護支援専門員/ 認知症介護指導者 古城順子)より引用しています。

不適切なケア場面

例えば,こんな場面がある。アルツハイマー型認知症を患い,何度もトイレに行く利用者のAさん。パンパンと手を鳴らし,「起こして!」と大きな声でスタッフを呼ぶ。筋力低下があるため,一人では起きられない。

介助でAさんが車いすに座る際,「は〜」とスタッフからため息が出る。「ん?」とAさん。「Aさん,5分前にもトイレに行かれましたよ」「そんなことないわよー」「はいはい」。車いすを押す手に力がこもり,トイレでの介助は無言で無表情となる。そして,また5分後にAさんの手が鳴る。

「このむなしいやり取りがいつまで続くのか。自分のこの支援に本当に意味があるのだろうか。そう言えば,私は何のために介護職に就いたのか…」と,怒りや悲しみ,何とも言えないむなしい感情が押し寄せてくる。

当然だと思う。認め合い,共にあり,安らぎ合いたいという人間本来のあり方が揺らぐ働き方だからだ。人間らしい感情にふたをして,冷静で客観的な自分を装い,傍観者的な場所に身を置かなければ爆発しそうになる…,そんな関係性。

不適切なケアと適切なケアに境界線はない。あるのは,向いている方向の違いだ。むなしい方向か,光が差す方向か。

毎日むなしさと戦っているエネルギーを,光が差す方向へ「革命」を起こすエネルギーに変えていくしかないと思う。

介護業界は革命的な価値観の変化への苦しみと戦っている

介護業界の歴史は「身体拘束」や「虐待」と切り離しては語れない。身体機能や認知機能が低下した高齢者をどう介護してよいか分からない時代があった。

そのため,つなぎ服や拘束帯,閉鎖病棟や座敷牢,もっと歴史をさかのぼれば姥捨て山といった「自由を奪い,閉じ込める」方法で対応してきた。なぜなら,介護職の穏やかな生活や円滑な仕事を脅かす存在だったからだ。

介護業界は今,過渡期を迎えている。今までの「当たり前」からの脱却,つまり「革命的な価値観の変化」の時期にある。信じ,頼りにしていた「当たり前」を脱ぎ捨てることには,苦しみが伴う。さらに,「人手不足」という社会問題がこの苦しみを倍増させている。

身体拘束や虐待,不適切ケアは,そう簡単には解決できない。労働条件,利用者との関係,業務の質と量,上司や同僚との関係,仕事以外の生活など,スタッフのストレスが大きな要因となっている。

そのほか,組織やチームの課題,社内研修の未熟さもある。「そう言われても,どこから手をつけてよいか分からない」「社内研修やOJTをする人材がいない」「上司や理事長に理解がなくてどうしようもない」,そんな声が聞こえてくる。

不毛な話し合いをしていないか

前述の排泄回数の多いAさんの事例で,「スタッフのその言い方が尊厳を傷つけている」という個人の言動を対象にした指導や,「利用者Aさんの排泄回数を減らす方法を考えよう」という話し合いは,ほとんど無意味だと思う。「起こっていることの本質」を読み間違えている当事者たちが解決策を話し合っても,効果が期待できない漠然とした結論しか出ないからだ。

「排泄回数を減らす方法」は「スタッフの円滑な仕事」のための対策であり,根本的な解決にはつながらない。スタッフのための対策を良かれと思って一生懸命Aさんに実施しても,自分の価値観で生き続けるAさんとの溝は深まるばかりで,さらに思うようにいかない出来事を巻き起こす悪循環につな がる。

不適切ケアの現状から脱却したければ,理事長や施設長,管理者,中堅スタッフ,新人スタッフそれぞれが大きな決断をした方がよい。もし,上層部の理解を得られず,複数の現場スタッフの決断で試みを始めるのであれば,相当の決意の下での合意形成が必要だと思う。水面下で粛々と行われる「革命」のように…。



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