スピリチュアルとは

注記
※本記事は隔月刊誌『臨床老年看護』2020年1-2月号に掲載の「高齢者医療・看護におけるスピリチュアル・ケア」(執筆者:非営利一般社団法人 大慈学苑 代表理事 玉置妙憂)より引用しています。

スピリチュアルとは何か

スピリチュアル・ヘルス,スピリチュアル・ペイン,スピリチュアル・ケアといった言葉が,看護教育の教科書の中に登場してきたのは,1998年にWHO執行委員会(World Health Organization)で,世界保健機関憲章の前文「健康の定義」にスピリチュアル概念の追加を検討する議論がなされてからだ。

にわかに登場してきた耳慣れない言葉は,当初から多少なりとも現場を混乱させたのではないだろうか。「スピリチュアルって何?」という疑問は,いまだに“スピリチュアル” という言葉にしっくりくる和訳が見つからないことからも,解決していないだろうことが想像に難くない。

日本におけるスピリチュアル・ケアの草分け的存在である大下大圓は,スピリチュアルを「潜在的で,深層であり,その広がる先は宗教に極めて近い存在」と位置づけている(図1)。
宗教もスピリチュアルも,何か遠い存在のように感じられるかもしれないが,実は,私たちの日常に当たり前に入り込んでいる。むしろ,あふれている。それに気づくかどうか,というところではないかと思う。

スピリチュアル・ペインに 年齢による特徴はあるか

スピリチュアル・ペインについては, 各分野の第一人者がさまざまに定義しているので,ぜひとも学ぶべきだが,ここでは,筆者の私感を述べることにする。

人は,生まれた時から「スピリチュア ル」の小さな箱を胸の中に持って生まれてくる。その箱はフタが閉まっている。

フタが開くきっかけはいくつかあるが,なかでも確実なきっかけの一つは,「自分自身の生命(いのち)の限りを見た時」である。老いや不治の病の罹患などにより,自分の生命の終焉を如実に意識した時,スピリチュアルの箱のフタが開く。

2つめは,「大切な人の生命の限りを見た時」である。例えば,親や伴侶,もしくは子どもや孫が不治の病の宣告を受けた時などがそれにあたる。

3つめは,大きな災害や事故の時である。人の生命がむざむざといとも簡単に奪われていくのを見た時,またスピリ チュアルの箱のフタが開くのだ。

フタが開いた箱の底からは,「私の人生はなんだったのか」「生きている意味はあるのか」「なぜ生まれてきたのか」 など,いくら探しても答えの見つからない問いが湧き上がってくる。私は,これを「スピリチュアル・ペイン」だと受け止めている。特に生死にかかわる場面には,スピリチュアル・ペインの種がごろごろしているのを感じている(図2)。
では,そのスピリチュアル・ペインに年齢による特徴はあるのだろうか。これまた私の拙い経験値だが,いかに高齢になろうとも,「もっと生きていたい」と思うのが人間のようだ。「もうあの年まで生きたのだから満足だろう,大往生だよ」というのは,まだ死がリアルでない若輩者が言う「勝手」ということだ。

そういう意味では,スピリチュアル・ペインは年齢により影響を受ける部分もありはするが,人間に根本的に存在し続ける「普遍の痛み」であるように思う。




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