最期をどこで迎えるか

注記
※本記事は書籍『看取りを支える介護実践』(著者:北海道介護福祉道場 あかい花 代表 菊地雅洋)の巻頭言より引用しています。
 多死社会を迎えている我が国では、2040年には死に場所が定まらない47万人の看取り難民が発生する可能性がある。そのため国は対策を進め、2006年度以降の診療報酬に在宅療養支援診療所を位置づけ、介護報酬では看取り介護加算・ターミナルケア加算を新設・拡充してきた。つまり、医療機関以外の暮らしの場で看取り介護・ターミナルケアを行うための制度改正、診療・介護の両報酬改定が行われてきたわけである。

 2018年度の介護報酬と診療報酬のダブル改定も同様の主旨となっており、どこに住んでいても適切な医療・介護サービスを切れ目なく受けることができる体制を整備することが目指された。具体的には介護報酬改定では、居宅介護支援事業所にターミナルケアマネジメント加算を新設したほか、ターミナルケアの実施数が多い訪問看護事業所や、看護職員を手厚く配置しているグループホーム、たんの吸引などを行う特定施設に対する評価を手厚くしている。さらに、特別養護老人ホーム(以下、特養)の医療体制の充実に対する加算を新設すると共に、その体制を整備した特養での看取り介護加算については、従前より高い単位を算定できるようにした。

 どちらにしてもこれからの我が国では、死ぬためだけに入院しない社会の実現が急がれていることは間違いのない事実である。ここで注目したいのは、「看取り難民」の意味である。それは国の様々な文書において、「死に場所が定まらない47万人の看取り難民」などという形で表記されている。

 人は必ず死ぬ。そして、どこであろうと死ねないということはない。そうであるにもかかわらず「看取り難民」という言葉を使う意味は、死に方も問われているという意味ではないのだろうか。それはとりもなおさず、人として最期までどう生きるのかという「生き方」が問われているという意味でもある。

 つまり死に場所が定まるということは、その場所で最期まで人間らしく生き続けられるということに他ならない。例えば、2013年3月に示された地域包括ケアシステムにおける今後の検討のための論点(地域包括ケア研究会)では、『毎日、誰かが訪問してきて様子は見ているが、翌日になったら一人で亡くなっていたといった最期も珍しいことではなくなるだろう』『常に「家族に見守られながら自宅で亡くなる」わけではないことを、それぞれの住民が理解した上で在宅生活を選択する必要がある』として、死の瞬間が誰からも看取られなくとも、そこに至る過程で必要な支援が適切に行われていれば、それは決して孤独死ではなく『在宅ひとり死』であり、否定されるものではないという考え方も示されるようになった。それが本当に孤独死ではないのかという判断は、個人の価値観によって違うだろうし、違って構わないと思う。

 要はすべての日本国民が、最期の時間を過ごせる場所と、そこまでの過程でどのような支援を受けることができるかを選択できる社会が求められているということだ。そうであれば保健・医療・福祉・介護の関係者は、どのステージであっても、どんな職種であっても、看取り介護・ターミナルケアにかかわって、適切に支援できるスキルを備えおく必要があるということになる。その際に勘違いしてはならないことがある。

 看取り介護は、日常的ケアとは異なる特別なケアであるという考えは間違っている。
 看取り介護は、職員に過度なストレスを与え、離職率が高まる恐れがあるという考えは間違っている。
 看取り介護を実施するためには、特別な医療支援体制が必要とされるという考えも間違っている。

 看取り介護とは日常介護の延長線上にあるものであり、日頃の介護の質を高める努力と、高齢者の最晩年期の暮らしを護るという理念が求められるものの、その考え方さえしっかりしていれば、どのような場所であっても看取り介護は普通に実践できるケアである。

 そもそも看取り介護とは死の援助ではなく、人生の最終ステージを「生きる」ことをいかに支えるかが問われるものなのだから、それは介護支援の「本旨」であり、それができない介護事業者など本来あってはならないのである。

 確かに看取り介護には医療的支援が欠かせないが、それはあくまで緩和医療であり、治療的かかわりではないし、対象者が旅立つ瞬間に医師や看護師がいなければできない支援行為ではない。これは「介護」であることを忘れてはならない。そして、どこで終末期を過ごすのかという判断は、サービスや施設の種別で選ぶべき問題ではなく、その実践力があるかどうかという判断で選ばれることになり、そこで選択される事業者になることが、厳しい時代において介護事業経営を続けていく重要な要素につながっていく。

 本書では、筆者が特養の相談員や総合施設長としてかかわったケースを中心に、命ある人の暮らしを護ることの意味や、その命の輝きが消えるその瞬間までできること、しなければならないこと、その意味について考察する内容になっている。それは看取り介護の実践の中で生まれた方法論であり、理論でもある。

 ここに書かれた内容に、フィクションは含まれてはいない。そうであるがゆえに、これは誰しもが実践可能な方法論であると言ってもよい。

 この世に生を受けたすべての人が、その尊い命が燃え尽きる最期の瞬間まで、人としてその命の輝きを失うことがないように生き続けるために、周囲の人々に何が求められるのかを考えてほしい。本書が、人の生活支援にかかわるすべての人々にとって、いつか誰にでも訪れるであろう「死」に対し、どう向かい合うのかを考えるきっかけになってくれれば幸いである。

 なお本書では、僕に寄せられた手紙の内容の一部や、僕が管理していた介護施設の報告書の内容の一部を紹介している。その際、個人名などが特定される部分は伏せ字としたが、意味が通じない文章を除いて、できるだけ原文を修正せずにそのまま紹介している。その中には、言い回しに疑問符が付くものが含まれているが、それも加筆・訂正せずに紹介している。その方が当時の介護サービスの場の臨場感がより伝えられるのではないかと考えたためである。その点をご了承いただきたい。

2019年1月
北海道介護福祉道場あかい花 代表
菊地雅洋


看取りを支える介護実践
編著/菊地雅洋
北海道介護福祉道場 あかい花 代表
A5判 240頁 定価 1,800円+税(ISBN 978-4-7760-1880-3)
誰もがどこでもできる「看取り介護」の実践論
これまで看取った利用者・家族とのエピソードを交えて解説
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